英語の個性をみつけるぶろぐ

誰だって理解してもらうのはうれしい。英語だってそう思っている。

曲がりくねった私の英語学習奮闘記1

いつも私の英語学習にお付き合いいただきありがとうございます。

私はなぜ英語を勉強しているのだろう?なぜこんなに英語を勉強しても話せるようにならないのだろう?いつもそう感じていました。今回はこのもやもや解消とこれからどのように英語を勉強していこうと思っているのか書いてみようと思います。

もともとはの目的は英語の文献が読みたかったから

私は大学生時代、インターネットで自分の研究に関係するような論文を読み漁っていました。何か自分の研究についてヒントになることがないか必死だったのです。調べていくうちに、日本語で検索をかけるよりも英語で検索をかけるほうが圧倒的に多くの情報がパソコンのスクリーン上に表示されることが分かってきました。「おぉ、これだけあれば自分の研究のヒントになることもたくさん見つからるはず」。そんな感動があったことを覚えています。きっかけはこんなに単純です。ただ英語文献を読みたい。ここから私の曲がりくねった英語学習の日々がはじまります。

何が書いているのか分からず単語を調べる日々

論文を見つけて読んでみたはいいですが、専門用語が多く全く進みません。日本語の論文であれば10分程度で読める内容も英語では1日以上かけることも多くありました。わからない単語が出てきたら一つ一つ辞書で調べる。最初はほとんどが分からない単語だったので、論文を一本読み終えたときはそれに満足してしまい、頭に内容が入っていないということも多くありました。そんなことを繰り返すうちに私の目標が少しづつぶれていきました。

英語論文を読んでいることがかっこいいと思えてくる

論文は分野を絞ると似たような単語が出てくるため、段々と読むのが速くなってきます。しかしやはり論文。単語の意味が分かって全文読んだとしても、読んだ=理解ではないのがポイントです。単語の日本語訳がわかってもそれが何を意味するのかは分からないのです。ただその頃は私に別の感情が芽生え始め、意味を一つ一つ理解していく作業を行ってしまいました。その感情とは英語論文を読んでる俺かっこいいという感情です。というのも自分の周りではあまり英語の論文を読んでいる人がいなく、自分の机の後ろを通ると「お、英語の論文よんでるんだ。スゲーじゃん」と声をかけられます。これが「他の人と違うことをやりたい」という私の性格と相まって、英語が私の中で他の人との差別するためのツールとしてしまったのです。